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ヒストリー

北軽井沢ミュージックホールの歴史

建築後15年を経た1982年(昭和57年)、財団法人北軽井沢ミュージックホール代表理事、田中泰雄さんから、長野原町へ土地・施設を寄付したいとの申し出がありました。この頃になるとオーケストラの団員数が増加し、この施設では収容できなくなったことや、設立当初からこの建物の運営・管理にあたっていた田中さん御夫婦の高齢化などから、財団法人を解散し、長野原町に寄付することを決定したのです。

小澤征爾理事長が長野原町に寄贈
町は議会との協議の上、この土地・建物の寄贈を受けました。その時の財団法人北軽井沢ミュージックホールの理事長は、若き日に斎藤秀雄さんに師事し、世界的に有名な日本人指揮者となった、小澤征爾さんでした。

長野原町は、ミュージックホール運営委員会を設置し、管理運営規約を定め、ホールの運営を開始しました。1983年(昭和58年)、この年現在も続いている『長野原町クラシック音楽の夕べ』が外山準さんの主管の下、スタートしました。

その後は、北軽井沢区民コンサート(寺島尚彦さん)の会場として、あるいは北軽井沢大学村70年祭と連動した区民大学の会場などとして使用されました。しかし建築から40年近くが経ち、老朽化が目立ち、恒例の『長野原町クラシック音楽の夕べ』も、北軽井沢小学校に会場を移して行われました。

再び、音楽・文化の殿堂への復活を!
このまま取り壊してしまうのかと思われたミュージックホールに、再び光をあてたのはこれまでミュージックホールで活動を続けてきた関係者や、区民の「ホールを存続して地域おこしの核にしたい」という熱意です。さらにそれを後押ししたのが、大島文子さん、大島直子さん姉妹です。文子さんは桐朋学園大学の卒業生で、在学中にミュージックホールで合宿したことがあり、この場所でコンサートやセミナーを開きたいと町に申し入れました。

2005年(平成17年)のことです。屋根から雨漏りがするような状態の中、大島さん姉妹は、掃除から雑用まですべて自分たちの手でやりはじめました。このことを知った北軽井沢区民の有志が「この由緒ある建物を管理、保存し、地域活性化を図れないか」と町に要望し、屋根の修繕などの改修が行われました。と同時に「北軽井沢ミュージックホールサポーターズ」というボランティア団体を設立し、ホールの維持管理業務を支えています。

また、2008年(平成20年)には「北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル実行委員会」を結成、ミュージックホールで行われるコンサートなどの運営・管理やスケジュール調整などを担当しています。

平成18年度から群馬県の『千客万来支援事業』の指定を受け、長野原町が進めてきたミュージックホールの改修事業も、今年度の駐車場整備などでひとまず終了しました。リニューアルされた北軽井沢ミュージックホール、『音楽・文化の殿堂』としての復活への期待が高まっています。

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